【古書簡】「原敬 書簡 稲田周之助宛 2点」1898年・1900年 大阪毎日新聞社勤務時代▼ 真筆・手紙 ▼ 立憲政友会 足尾銅山

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原敬 書簡2点

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  【商品】
      ・古書簡 「原敬 書簡 稲田周之助宛 2点」 1898年・1900年 大阪毎日新聞社勤務時代

 【内容】

      ・書簡   東京本郷区駒込 稲田周之助宛 13行  本文寸法 縦:17.5cm  横:36cm

      ・書簡②   栃木県足尾銅山 稲田周之助宛  24行  本文寸法 縦:18cm     横:50cm

 * 原敬(はら・たかし)
   明治9(1876)年司法省法学校に入学。12年に退学後、『郵便報知新聞』、『大東日報』の記者をつとめる。
 外務省入省を契機に官界へ転進。外務次官などを歴任。30年9月、官界から引退するが、伊藤博文を中心に結成された
 立憲政友会に参加。35年衆議院議員に初当選。以後連続当選8回。政友会の実力者として西園寺公望総裁を補佐し、
 桂園内閣時代の立役者となる。大正3(1914)年第3代立憲政友会総裁。7年首相となり、初の本格的政党内閣を結成するが、
 10年東京駅で暗殺された。

 * 稲田周之助(いなだ・しゅうのすけ)

  ジャーナリスト時代には、東京日日新聞の記者。法学博士、政治学者。大学教授。内務官僚・宮内官僚の稲田周一の父。


〔内容〕
 書簡②は、稲田周之助の宛先が栃木県の足尾銅山宛。稲田が足尾銅山を経営していた古河事務所に勤務していた時期と
 推定されます。原敬の生涯で、最も光が当たっていない大阪毎日新聞社時代にあたる書簡2点になります。

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    ・多少の汚れやシミなどがありますが、経年化を換算すれば、比較的きれいな状態を保っております。

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