絶版!!1973年!! 魯迅全集 全20巻揃 人民文学出版社 初版 検:狂人日記/茅盾/マルクスエンゲルス/毛沢東/莫言/巴金/老舎/曹禺/郭沫若/胡適

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日本留学から文学運動へ
 1902年、医学を学ぶため日本に留学し、仙台医学専門学校(後の東北大学医学部)に入学した。日本は日露戦争の勝利に沸き立ち、日本という場所から清朝の衰退、社会の混迷という祖国の状況を痛感するようになった。仙台留学中の魯迅の苦悩は、後に日本人教師の思い出を語った『藤野先生』で描かれている。社会の問題に目を開きながら、一方で文学にひかれるようになった魯迅は、医学を諦め、帰国して別な道を歩もうと決心した。 1909年、帰国後、辛亥革命が勃発し、清朝が倒れ、中華民国政府が成立した。しかし新政府のありかたや折から強まった列強の支配の中で絶望的となり、その苦悩の中から1918年に『新青年』に発表した『狂人日記』が新しい文学運動としての白話文学の先鞭となる。1920年に発表した「髪の話」では辮髪を批判している。1921年12月から『阿Q正伝』の連載を開始、その後社会性の強い小説や評論に活躍した。『阿Q正伝』は近代中国が苦悩する姿を描き、彼の代表作となった。 

3.18事件
 1923年から北京市内の西三条胡同(フートン、共同住宅。現在、北京魯迅博物館になっている)で生活するようになり、北京女子師範学校の非常勤講師として生計を立てた。1925年に女子師範学校で学生運動に取り組んでいた許広平を匿ったことから二人は愛情を持つようになった。1926年3月、北京政府の権力をめぐる軍閥張作霖と馮玉祥が衝突、介入した日本、イギリス、アメリカなどの軍隊が介入し天津を砲撃した。3月18日、北京の学生・市民が抗議のために天安門広場に集まり西岸デモを開始したことに対し、北京政府軍が発砲、多数が死傷し、魯迅の教え子も死んだ。事件が革命運動に発展することを恐れた政府は、デモの指導者李大釗らに逮捕状を出し、魯迅ら進歩的知識人にも危機が迫った。魯迅は市内に身を潜めた後、8月に北京を脱出した。この「3.18事件」のことを魯迅は『花なきバラ』で書いている。 

国民革命の進展 広州へ 
 一時期、厦門大学の文学部教授として古典研究を続けたが、その間、第1次国共合作が成立し、国民革命は急転回、介石の指揮する国民革命軍の北伐が始まり、中国南部は国民政府が統治する情勢となった。魯迅は共産党の郭沫若に招かれて1927年3月、広州に移り、中山大学の文学部主任となった。許広平も大学の助手となり魯迅と共同生活に入った。しかし、広州国民政府は、国民党内の汪兆銘と介石の左右両派の暗闘、国民党と共産党の確執などが渦巻き安住の地ではなかった。その不安は1927年の上海クーデタとなって現実のものとなった。

ご存じの方には多言ではございますが、大変入手困難な人民文学出版社の魯迅全集でございます。1973年出版でございます。
大事にコレクションしておりましたが、増えすぎたDVD・CD類の整理をしており、この度出品させて頂きました。格安にて出品させて頂きましたので、どなた様かお引取り頂き、お楽しみ頂ければ、誠に幸いです。
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