【大連実業団・谷口五郎】戦前の古写真◆大正三大投手◆野球殿堂◆読売ジャイアンツ大洋ホエールズプロ野球投手早稲田大学岩瀬五郎昔昭和

  • 商品説明・詳細

  • 送料・お届け

商品情報

1928年、第2回全日本都市対抗野球大会に出場した当日の撮影と思われます。現役時代

◆谷口五郎
佐賀県出身の野球選手。小野三千麿、湯浅禎夫とともに「大正三大投手」の一人に挙げられる。1901年1月2日生まれ。釜山商業から1920年に早稲田大学へ入学。美しいフォームから繰り出す快速球が武器の左腕投手。早稲田大学黄金期にエースとして君臨した。1920年10月、4大学リーグの早明戦でデビュー。投手を使い果たした早大の苦肉の策として先発したが、明大のエース渡辺大陸と堂々と渡り合い、8対0の完封勝利を収めた。1921年春、早大の第4次アメリカ遠征に参加。この遠征中に投手陣が体調を崩したため、谷口はほぼ全試合に登板した。この経験が契機となって飛躍的に成長した谷口は、1921年秋の4大学リーグと1922年秋の5大学リーグで、いずれも完全優勝に貢献した。この当時は早慶戦が中断されている時代であった。その代わりとして、慶應義塾大学OBが所属する三田倶楽部と早稲田大学OBが所属する稲門倶楽部が対戦しており、非常な人気を博していた。とくに三田の小野三千麿と谷口の投げ合いは多くのファンを沸かせた。1922年秋の同対決では谷口が投球モーションを逆にして投球し続けたため三田側はボークではないかと猛烈に抗議、物議をかもした(逆ワインドアップ事件)。 東京4大学リーグ(~1922年春季)~東京5大学リーグ(1922年秋季)通算11勝2敗。1923年からは社会人野球の大連実業団でプレー。1928年、第2回全日本都市対抗野球大会に出場。投打の中心として活躍し、決勝では東京倶楽部の新田恭一と投げ合い、1-0で勝利した。この時は「岩瀬五郎」の名前でプレーしている。1951年は常磐炭鉱野球部監督、1953年から1957年まで読売ジャイアンツ(巨人軍)のコーチ、1959年から1963年まで大洋ホエールズ(横浜)で投手コーチを務めた。1979年に野球殿堂入り。1980年9月26日死去。

<選手歴>
 釜山商業学校
 早稲田大学
 大連実業団

<監督・コーチ歴>
 常磐炭鉱
 読売ジャイアンツ (1953 - 1957)
 大洋ホエールズ (1959 - 1963)
 野球殿堂(日本、1979年)


残り 1 8499円

(2 ポイント還元!)

翌日お届け可(営業日のみ) ※一部地域を除く

お届け日: 04月29日〜指定可 (明日12:00のご注文まで)

  • ラッピング
    ラッピング
希望しない
希望する ( +600円 )
希望しない
数量
同時に5点までのご購入が可能です。
お気に入りに保存

対応決済方法

クレジットカード
クレジットカード決済
コンビニ前払い決済
コンビニ決済
代金引換
商品到着と引き換えにお支払いいただけます。 (送料を含む合計金額が¥299,000 まで対応可能)
ペイジー前払い決済(ATM/ネットバンキング)
以下の金融機関のATM/ネットバンクからお支払い頂けます
みずほ銀行 、 三菱UFJ銀行 、 三井住友銀行
りそな銀行 、ゆうちょ銀行、各地方銀行
Amazon Pay(Amazonアカウントでお支払い)

大量注文に関して

30個以上かつ10万円以上のご購入はこちらからお問い合わせください

お問い合わせはこちらから